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箕輪厚介さんの講演を聴いて2

新着情報 青年部会

2018.06.11


【部会長ブログ】
皆様お疲れ様です!
今日は昨日の続きを書いてみます。
箕輪さんは講演を通して「遊びたおせ」とおっしゃっていました。やりたくもない仕事を「食べるために」仕方なくするのではなく、自分がやりたい仕事、自分が楽しいとも思える仕事を遊び心を持って(子供が夢中になって遊ぶ感覚で)働くべきだと。
逆にそれくらいじゃないと、価値を生み出すことができないとのことでした。
常識の枠にとらわれず「それっておかしくない?」という疑問を持つことが大切で、今まで通りが一番楽であるという逃げ道に従事していると、人間がダメになってしまうと。
学校教育が、それの最たるもので「皆んなと一緒がお利口さん」という教育を日本の子供は受け続けているから今後危うくなると。
生徒が集合をしたときにする整列にさえ疑問を持つ感覚が必要なのだとおっしゃっていました。
なぜ整列する必要があるのか。
灘高校を出て東大まで行かれた方が、ある日、自分の子供の学校を見学に行って整列する様子を見て違和感を感じたそうです。
常識にとらわれていたら危うくなる。個性や独創的な感覚を養いたいと子供にたいして思っていたその方は、このまま学校に通わせていて大丈夫だろうかと不安になったというのです。
そんな視点で見てしまうと、今の学校教育は飛び抜けた才能を持った子供でも、逆に普通の子であって欲しいと願いながら教育されているような感覚さえ覚えてしまいます。
親でさえ、「普通」に高校くらいは卒業して欲しいと、普通を願っているのです。
普通って何でしょうか?
僕自身は、今の学校教育がダメだなんて思いませんし、整列することにも違和感を感じません。バリバリの高校球児で体育会系だったので、逆に整列しなくていい団体生活自体が想像もできないほど、「普通」に侵されているのかもしれません。
ただ、箕輪さんはこうもおっしゃっていました。
2年間は、がむしゃらに頑張る時期があったほうがいい。
遊びたおすにも、ベースになる知識や社会の仕組みを知ることが必要で、それなくしてただただ遊んでいるだけではダメだと。
なぜ2年間かといえば、これは箕輪さんの中の感覚の問題で、2年くらい頑張れば、ベースとなる知識が得られるだろうということです。
それは、人それぞれだし得たいもののベースにもよると思います。
「好きこそ物の上手なれ」
遊びたおせるくらい、好きなものであれば夢中になって取り組むので修得するスピードも単なる作業に比べたら格段に早いでしょう。
仕事は辛く、しんどいもの。
ではなく、仕事は楽しむもの。
そして常識にとらわれず、様々なことに疑問を持つこと。その疑問の中に大きなチャンスもヒントも隠れているように思います。
明日に続く。