2018.08.15
【部会長ブログ】
皆様お疲れ様です!
今日は終戦記念日。皆が幸せな人生を歩みたいと願っているのであれば、戦争とは本当に意味のないものだと感じます。
さて、今日も鵤工舎の小川三夫さんの言葉を引用しながら職人とは。ということについて考えてみようと思います。
「執念のものづくりをせよ」
切れる道具を持てば、道具に恥じる仕事はしなくなる。そういう道具を持たないから手を抜くことを考える。
今も昔も「執念のものづくり」をしないといけない。工作技術でものをつくってはいけない。工作技術でものをつくったら、出来上がりはそれでよしとするだけだ。
「執念のものづくり」をした人は出来上がったものに何らかの不満が残る。その不満がもっとやる気を起こす。
「執念のものづくり」を教えることはできない。本人が感じ取るしかない。西岡棟梁が晩年に「煎じて煎じて煎じ詰めれば最後は勘」という話をしてくれた。
勘やこつというものは言葉で直接伝えることはできない。技を得ようとする人は結局、自らの練習と努力で自分のものにしていかなければならない。
技術や技能を学ぶことにとらわれるな。始まりは知恵で、そのことを言葉にしたのが知識。直接感じるものが知恵で、伝えて伝わるものが知識。
技を自分のものにするには知恵であって知識ではない。
もし知識だけで東大寺にあるような大きな柱を立てようとしても絶対に立たない。知恵と技がなければできない。
知識以上のものはできないが、知恵というのは限りなく湧き出す。知恵を働かせなければいけない。
「執念のものづくり」は教えることができない。と小川三夫さんは、おっしゃっておられます。なんとか習得しようとする気概がないと無理だと。
そうするためには(気概を養うためには)我々、業界人が胸を張り、襟を正し、プライドを持って「執念のものづくり」を続け、社会的にも認められ、必要とされるべきだと思います。
仕事にはこだわるけれども、居酒屋に行けば偉そうに注文をするとか、社会的なマナーなど関係無いと言い、名刺交換の仕方もわからないとか、利益のことも売上のことも意に介さないとか、職場環境は二の次で、利益に走るとかは、あってはならないと思います。
当然、全ての背景には技術力があってこそ。
ですが、その技術力にあぐらをかいていては、これからの時代に必要とされる職人ではないと思うのです。
本当にかっこいい職人は、豪快で豪胆。自分の仕事にプライドを持ち、自信に満ち溢れているけれど、総じて皆さん謙虚で、誠実です。
新しい情報には貪欲で、若い世代にも惜しまず耳を傾け、納得いくまで学び続ける。
「知恵というものは無限に湧き出す。」
この言葉に全てが表れている様な気がしてならないのです。