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人生最後の言葉。

新着情報 青年部会

2019.02.15


【部会長ブログ】
皆様お疲れ様です!
二日間の研修を受講し終えて、山中湖の研修所から羽田空港へと戻ってきました。
懸念材料がありながらの受講でしたが、何とか最後まで受講できましたし、懸念材料もひと段落ついたので、ホッとしております。
今回の研修の最後に、今日もし自分が死ぬとして、最後に誰に何を伝えたいかを考え「遺書」を書くことと、最後の最後に誰に何を伝えて欲しいかを考え、「弔辞」を書くという課題がありました。
自分が今日死ぬことを想定して書く遺書と、自分宛の弔辞を自分で書くのです。対象者をそれぞれ明確にして。
そんなことして何になるの?
と、思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、書いてみると涙が止まりませんでした。
誰に遺書を残したいか。誰に弔辞を読んでもらいたいか。というところから考え、それぞれその対象者への想いを深めていきます。
思い出をたどり、こんなこともあった、あんなこともあったと振り返り
一番嬉しかったことはこんなことだった。
一番、謝りたいことはこんなことでした。
そんなことを綴り、良い思い出も悪い思い出も蘇ってきます。ともに苦労したこと、ともに楽しんだこと。
今日で人生が終わりという仮定の話でも、伝えたいことはどんどん溢れてきます。だって、人生の最後の言葉ですもの。もう伝えられなくなるので。
弔辞も同様に、読んで欲しい人との思い出が溢れてきます。
書き終わるときには、公衆電話で「あぁもう電話が切れちゃう、これで終わりだ10円玉がもう無い」そんな感覚でした。
今回は研修の中での仮定の話でしたから、こうしてしっかり時間をとって書けました。
でも、我々の命はいつ最後を迎えるか誰もわかりません。
だったら、最後の最後で慌ててたくさん伝えるよりも、日頃から大切な方へ想いを伝えていくべきだと思いました。
人生は、自分の中ではなく自分が見ている世界にある。すなわち自分の外にあるのだと教わりました。
目の前の人、隣の人。会社の仲間。業界の仲間。家族。そうした大切な人を大切にすることが、人生を大切にすることなんだと。
批判ばかりして孤立し、人と衝突ばかりして大切な人を大切にできないようでは人生の最後に、弔辞を読んでくれる人さえいないかもしれない。
そんな人間味のない人生を歩んでいたら、AIと変わらない。いや、それ以下のものになってしまうかもしれません。
僕は今回の研修を通じて、もっと自分の人生を楽しみたいと感じました。まだ全然、謳歌できて無い。もっとずっと違うステージがあって、大切な人たちをもっともっと大切にできる。
それが自分の人生を大切にするっていうことなら最高のことじゃないですか?
皆さんは、自分の人生の最後の言葉。
どんなことを、誰に伝えたいですか?