お元気ですか。あれだけ寒かった時期もすぎ桜の便りが気になるころですね。
シティーボーイのバトンをもらいましたフルタです。
今回のお題はとても意味深で、各幹事も困惑しております。各幹事ブログを読み返せばキャラちぇんやらなんやらで
私も何を書いていいのか迷っています。今回のお題は自由・誇り・恥なわけですからこのどれかをテーマにすればよいのだと思います。
しかし、自由に書いても起承転結が見えてこないし、誇りばかり書けば自慢げな内容になってしまう。と、言うことで今回も
テーマをつなげて書こうと思います。
「自由に誇りをもって恥を書く」
早速まいります。そもそも自由を、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を調べました。
自由の概念は、他者の意志にではなく、自己自身の意志に従って行為することとして捉えることができる。この自由概念が封建的な身分制からの解放という思想を導き、ヨーロッパにおける市民革命を育んだ。社会契約説では、政府による統治がその正当性を獲得するのは、社会契約に対する被統治者の同意によるとされた上、社会契約を破った政府に対しては、これを覆す権利(革命権)があると説かれている。
自由はまた他者の自由とも衝突する。他者の自由を尊重せず勝手な振る舞いをしてはならない、という考え方は、J.S.ミル『自由論』の中で表明され、今日他者危害の原則として広く支持されている自由観である。
とありますが、よくわかりません。つまり『自由』(じいう)の語義として思いのままわがままと言うことなんでしょうか。自由とわがままの違いは何でしょう。
わたしは同じに考えれるのです。
よく調べてみましたら、自由には必ず「責任」がつきまといます。 自由を選んだことによって、金銭的に困窮することになっても、それは自分で道を選んだ責任です。 反面、「わがまま」には責任が伴いません。 自分の意志に従って取る行動という意味では、両者は同じなのですが、責任の所在だけが異なります。とのことです。知らない事だらけで恥を書いてしまいました。今回のお題、自由・誇り・恥を頂き改めて学びを頂けましたことに感謝申し上げます。
引き続き日車協連青年部ブログをお楽しみください。私からバトンを渡すのは斬新なアイデアと創意工夫で日車協のイノベーションを起こす金箱幹事へ引き継ぎます。よろしくお願いします。