2011.07.06
昨日は地元の先輩であり、私の指南者でもあり、お客様でもあり、社会貢献の先輩でもある方の誕生会にお伺いしてきました。
60歳の誕生会であり、いわゆる還暦祝いでもありましたが、この先輩は社会を見渡すアンテナは高く、思考力、行動力共に私以上に若い精神の方であります。よく年齢とは実年齢ではなく、心の年齢だといわれますが、この先輩は私以上にお若いと感じるほどです。
またこの先輩は最後のあいさつで、65歳で引退する!と宣言しました。しかしそこまではグループ会社の大改革を敢行するとも。
これだけの人が期限を区切って、できるだけのことをして続くものに渡していくという覚悟に感銘を受けました。
世の中では、場や組織や社会が見えずに、その座に居座り続ける輩がいるのに・・・。まだまだと思う人ほどきっと全部がわかって自分のやるべき事と、できる事、そして去り際もわかっているのだろう。最後まで頭が下がります。
私も65歳まで全力で駆け抜けるつもりです。後輩たちに賞味期限切れと言われないように。
(以下、この先輩が毎日書いておられるコラムの抜粋です。)
還暦とは再び生まれた年の干支に還(かえ)るという意味で、本卦還(ほんけがえり)とも言う。その還暦を迎えた人の長寿のお祝いをするのが、日本の古来からの俗習のようである。
現代では、男性の平均寿命が79 歳、女性は86 歳でどちらも世界トップクラスの長寿。また65 歳定年制の会社も増えていて、60 歳はまだまだ元気で現役で活躍している。確かに「長寿の祝い」というのは少々違和感があるようだ。
実は、この平均寿命、日本人が先進国トップレベルに躍り出たのは1970 年代以降で、つい最近のことだ。太平洋戦争以前の平均寿命は、男女とも50 歳以下だった。
面白くなってきたので、もう少し平均寿命の歴史を調べてみた。紀元前11世紀の「縄文時代」、日本人の寿命は、男女とも14.6 歳だったそうである。
「縄文時代」は、約1万年の幅を持っているが、その間、死亡率は、改善されず、「弥生時代」(紀元前8世紀~紀元3世紀)、「古墳時代」(3世紀~7世紀)に入っても、「縄文時代」と、ほとんど変わることはなかったようである。
今の感覚でいえば、大人になる前に皆いなくなった、中学生の子供ばかりの世の中なんて、信じようがない。
平安時代の寿命は、男性で32 歳位、女性で27 歳位とのデータがある。あの耽美で優麗で、エロチックな最高傑作「源氏物語」の登場人物達は、心身ともに絶好調な10~20 歳代の若者だった。
以降、江戸時代くらいまでの平均寿命は、20~30 歳を越えないあたり、ということらしい。40 歳はかなりの高齢として珍しい例だったに違いない。
しかし、恵まれた階級、高僧は、長寿のようだ。歴史上の人物を比較すると、「戦国時代60.4 歳」「江戸時代前期67.7 歳」「江戸時代後期65.2 歳」と、さすが、歴史上の人物、”長生き”な人が多いようである。食事や住環境が、大きな要素と推測されるが、ほとんどの一般庶民は常に栄養失調状態だったようで、乳幼児の死亡率が高い。
明治13 (1880)年、男 36 歳 女 38 歳、大正10~14(1921~24)年 男 42 歳 女43.2 歳。そして文字通り「人生50 年」になったのは昭和22 (1947)年(男 50 歳 女 53.9歳)。第二次世界大戦終了の2 年後、今から、わずか64 年ほど前のことだ。
還暦を「長寿の祝い」とするのはこの時代まで。現状の我国は、60歳以上の人口は全体の約30%である。子ども(15 歳未満)の数が13.2%しかないのに、おじいちゃん、おばあちゃんはその2.3 倍もいる。60 歳の還暦は、おじいちゃん初年兵、今はまだまだ「洟垂(はなた)れ小僧」、お元気な諸先輩高齢者からそう、叱られそうである。