2011.12.14
今から309年前、元禄15(1702)年12月14日の赤穂浪士のひとり、茅野和助が討ち入りの直前に書いた自筆とみられる遺書が見つかり、岡山県津山市の津山洋学資料館が公開しています。(写真)
内容は、兄と2人の弟に宛てたもので、「明六日朝、彼屋敷(吉良邸)に切込む。この機会を逃しては武士の道を外れてしまう」という覚悟とともに、生まれたばかりの息子を心配して、おいを後見人にするよう頼み、さらに「母上様にはお嘆きにならないよう」と母を気遣う部分もあります。
この事件の賛否は、300年以上たった今でも議論が分かれるところでありますが、今でもこの時期になるとこの事件の事が取り上げられるのは、日本人の精神として、この犯罪を否定しきれないからではないだろうと思います。
大義をもって事を成す。
「平成23年、我が組合の現状に切込む。この機会を逃しては板金塗装業の道を外れてしまう」と考える今夜です。